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写真が氾濫する時代に、記念すべき「一瞬」を撮りたい:萬鏡写真館というロマン

古亭駅から約5分ほど歩くと、潮州街の道沿いに2階のアール窓が特徴的な真っ白な建物が見え、1階の出窓には、古い写真や昔の富士フィルムのケースが飾られています。ここは、現在の台湾ではすでに絶滅してしまったとも言える「写真館」なのです。

隣には日本統治時代から残された古い家屋がありますが、この写真館の独特な趣は、負けず劣らず人々の注意を集めること間違いなしで、私が写真館の正面から建物の写真を撮っていた約10分の間、この前を通った人々のほとんどが、振り返ってこの建物を見るほどです。ここにポツンと白い洋館があることに「あれ?」と思いますが、その様子はなんだかロマンチックな雰囲気さえします。ここが、「萬鏡写真館」です。

写真館という夢と、台湾写真館の歴史

本格的な「写真館」がなくなった時代に、台湾で写真館を復刻しようとした店主の李広氏は、ロマンチストでもあります。


古いアルバムをめくりながら、李氏は「写真館」という夢を語ってくれました。台湾写真の歴史を表すとも言える「写真館」にたどり着くまでに、まず、李氏は、ファッションカメラマンとして起業しました。李氏は台湾の写真文化について、日本と同じ道を歩んできたと言える、と語ります。日本統治時代に台湾で初めて「写真館」が出来たのは、20世紀に入ってからのことです。古蹟の町、鹿港の町の風景を残したいと思い、1901年に鹿港で「二我写真館」を開業した施強氏が、台湾で初めて写真館を開いた台湾人です。

台中では、日本人荻野氏が写真館「萩野写真館」を早い時期に始めていましたが、台湾人の林草氏は全財産を費やし、「萩野写真館」を買収し、1910年に「林写真館」を開業しました。昔ながらの写真館は主に、一階に応接間、二階にスタジオがある様式をとっています。

日本統治時代に「写真館」を開くのは、大変難しいことであったと李氏は教えてくれました。「写真」で「記録」するという技術は、その当時、まず官許の資格を取らないと始められず、撮影機器も大変高額でした。また、写真館の利用者は富裕層が中心で、人生の節目などを写真で記録することがメインでした。子供が生まれた時の記念、入学式、出兵時、結婚、家族写真の撮影などの際に写真館を訪れる人が多かったそうです。

戦後、携帯用フィルムカメラが、一般の人々にも手に入る嗜好品となり、富士やコニカなどのフィルムは、比較的手の届きやすいメーカーでした。そして、段々と写真で記録することの方法は変化していき、写真館で写真を撮ってもらう習慣は衰退化していきました。「写真館」は「照相館」に変わり、卒業アルバムやIDカード、パスポート写真などの撮影、そしてフィルムの現像が、主な役割になっていきました。

1960年代には「照相館」が急増しましたが、その中でも記憶に残る話があります。台中の「林照相館」のオーナー林権助氏は、写真の役割が多様化した時代に、さらに新たな一歩を踏み出しました。林氏の内助の功であった夫人が、これからは女性も社会進出の時代になると悟り、東京へ留学してへアメーク、ウェディングファッションを学んだ後、夫婦で「婚紗」(ウェディング写真)の事業を始めました。これこそ現代の台湾の写真界の先駆けだとも言える出来事です。ウェディング写真は今も台湾の写真業界における重要な産業であり、台北には「婚紗街」(ウェディングドレスストリート)と呼ばれる通りが二つあるほどです。スタジオ撮影は勿論、新郎新婦がウェディングドレスを着て人気スポットでロケーション撮影をするのも台湾の結婚写真のお決まりとも言えます。

「婚紗」の繁盛とは対照的に、現在、町中では「写真館」をほとんど見かけなくなりました。日進月歩の技術革命を経て、現在、昔は想像もつかなかったほど、様々な映像が溢れる時代になりました。デジタルカメラで簡単に高品質な撮影ができ、スマートフォンでいつでもセルフィが出来ます。しかし、李氏は「このような時代に、わざわざ時間を作ってどこかでちゃんと写真を撮ってもらうことは、かえって珍しいことですね。私はこの写真館を作ったのも、そのためです……」と語ります。このような時間と空間を大切にする撮影をすることへのこだわりが、じわじわと目の前のカメラマン李氏から伝わってくるほどです。

家族写真という「今、ここ」にある時間

李氏は家族の写真を見せながら「これが僕の『おばあ』です。20歳になった『おばあ』が、生まれ始めて写真館へ行った写真ですね。だれも教えてくれたわけでもなかったですが、自然と、モデル気取りでポーズをとってますね」と話します。

「写真館」という理想の形を念頭に置き始めた時から、李氏の写真館の最初の仕事として「おばあ」を撮りたいと願い続けていましたが、李氏の写真館の最初の家族写真撮影は、がんを患った親友から頼まれた家族写真の撮影でした。「彼にもしものことがあった時に、彼の子供に、元気に笑ったお父さんの顔を写真に焼き付けてあげたいという思いで撮影に臨みました。」と李氏は語ります。

写真館探し、大正ロマンに魅了される

ファッションカメラマンとしてデビューした李氏は、台北、ニューヨークを行き来して、現在もファッション誌撮影などで活躍する台湾を代表する若手カメラマンでありながら「やはり自分のスタジオを持つことは、僕の夢でした」と言い、「10代後半、純愛映画『世界の中心で愛を叫ぶ』を見て、大変感銘を受けました。その後、しばらく忘れかけていましたが、写真館の構想を具体化してきた時に、映画に出てきた『雨平写真館』が思い浮かび、日本へ行って写真館を見学しようと決めました」と話します。

大都会では消えかけてしまっている写真館ですが、郊外には、まだ少し残っている場所もあります。鎌倉の「星野写真館」を訪ねた際に、自身の夢の写真館の形が明確化され、最後にたどり着いたのは「大正ロマン」でした。

星野写真館にて

李氏の「萬鏡写真館」に入ると、細部までこだわり抜かれ、まるで華やかな物語の世界に入ったような気持ちになります。

「萬鏡」と名付けたのは「万華鏡」からの発想です。レンズを通して、無限に広がる豊かな世界を覗かせるというのが、カメラマン李氏の思い描く理想の写真の形です。

スマートフォンのアプリなどを使用して、簡単に写真編集も出来る時代に、「写真館」という夢は、あまりにも無謀では?とさえ感じていましたが、李氏の作った本物以上の世界に、私自身すっかり魅了されました。そして、燦々と降り注ぐ、南国台湾の太陽の光の元、大正ロマンを感じさせるスタジオで記念撮影してもらうのもよいのでは、と感じるほどです。

スタジオ撮影|一セット6000元。
道具あり。
予約制|萬鏡写真館にメッセージ。

(写真は萬鏡写真館より提供)

寄稿者情報

looky
編集部の猫です。
台湾大学中国語中国文学研究科で修士号を取得。東京大学アジア文化専攻 博士課程満期終了。
オンライン旅マガジン「旅飯」の編集者を経て、現在は「taisuki.cafe.network」の編集長を務める。

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