Taisuki Café

台湾が大好き♡

東門の陸橋に沿って鄭成功と一緒に大東夜市に行きましょう

私の散歩コースはこんな感じ。
記憶の中の幼い頃の自分がいざなってくれる道。
鄭成功、オランダの友人、
それにバークレー牧師と一緒に、

東門の圓環から鉄道の下の地下道を抜けて、
東門の陸橋、東門路、
そして大東夜市の方へ。

これは黄昏時から夜までの、
最高の散策コースだと言えよう。

東門の圓環(ランドアバウト)から城外へ行って、裕豊街口の大榕樹のところが終点。私の東門路は、自分だけの歳月を重ねたの回廊でもあり、幼い頃、青春時代、今の熟年期にもこの道を通る。でもこの時間も、台湾歴史という長い長い尺度から見たら、ほんの小さな点に過ぎないだろう。

この道は、日本時代の地図で言うと、「東門町一丁目」から「四丁目」にあたる範囲であり、1970年代に東門陸橋が完成した後は、橋の下の家屋はまるで時間と空間の隙間に隠れたように見えた。暗いというわけではないが、ただ斜光の余韻を吸収しているような世界。小便臭さと落書きが並存する地下道がレールの下に潜り、車は上の快速道路、バイクは地下のこの轟々たる戦場のようなトンネルを走る。

この道は「明鄭時代」から、城へ行く通り道であり、その時代にここは「崙仔頂」と呼ばれて、鄭成功が台南に上陸した翌日に駐屯した。話によると、その際にオランダ人はここへ出向き鄭成功に降伏し、「赤崁協定」をこの地で締結した、と言われている。

その後、この駐屯跡地に「大人廟」を建てた。「大人廟」は、圓環の直ぐ近くにあり、地下車道の出口の向こう側には、同じく100年以上の歴史を持つ古跡「祝三多廟」がある。ここを通ると、オランダ人の降伏シーンを思い浮かべ、この辺は歴史の幽霊が漂う魅力的な場所だと思う。

線路脇に位置する新樓醫院の設立者馬雅各(James Laidlaw Maxwell)医師は、台南人にとって大恩人。1865年にスコットランドから医療活動と宣教活動のために台湾に来た馬医師は、、「看西街醫館」にて無料診療を行っていた。医療技術が優れていたため、元々この地にいた漢方医たちに中傷され、高雄の旗後に移って改めて開業し、また3年後に台南に戻って、この地に病院を作った。新樓醫院は、1899年に成立、それは台北の馬偕醫院より7年も早く、さらに台湾大学の大学病院より30年も早かった。現台南市長の頼清徳氏はかつてここの医者でもあった。

新楼医院と台湾神学院、Photo by Jason [email protected] cc

台湾初の新聞紙、1885『台湾府城教会報』。

新樓醫院から東門の方へ歩き、バークレー牧師(Thomas Barclay 、巴克禮牧師)の創設した台南神学院を通る。ここに台湾で初めての印刷機がある。1885年に台湾で初めての新聞『台湾府城教会報』が発行された際、印刷機と11組の活字セットは全て馬雅各医師の寄付だったという。

1895年に馬関条約が締結され、台湾は日本の植民地となり、各地には血塗れの衝突事件が起きた。日本軍は、もともと兵力で台南城を攻めるつもりだったが、城内の紳士たちが巴克禮牧師にお願いして、乃木希典将軍に交渉を頼んだ。無血入城を遂げたため、深刻な死傷を避けることが出来た。そのため、台南人は今でもバークレー牧師に対して、尊敬と愛情を捧げるのは言うまでも無い。。白先勇の小説「一把青」をリメイクしたドラマの中で、個性派の郭軫が戦闘機に乗って真上から急降下する格好つけたシーンは、この神学校で撮った。

神学校と彌陀寺は隣にあり、「彌陀寺」は鄭経(鄭成功の嫡子)統治時期に建てられ、何度もの戦火や再建を経てきたお寺。台南城の「七寺八廟」の一つに数えられる。小さい頃、阿弥陀仏の誕生日には、ここに来て家族と「浴佛」(灌仏)したものです。陸橋のそばにあって、閑静な場所だ。

陸橋の傍には「山水鐵店」があって、鋳造のための炉が残っている。ラッキーならば、職人の鍛冶仕事を見ることができる。他にクリニック、鳥の店、餌の店、獣医などがあり、木の扉の老舗が印象的な「文具紙張・賢文堂」もあり、木彫の看板が目印。線路沿いのリフォームされた古い家屋の飲み屋の名前は「橋下」。長年続く店で、いい商売をしているではないか。日光麵包(日光パン)は、今風のパンと何段重ねにもなっている結婚式用のケーキがあって、一時繁盛していたが、今はもう閉店してしまい、道具と材料を販売する店になったが、店の上の太陽ロゴだけが残っている。

石川欽一郎、「台南後巷」

至る所の騎樓(台湾式の家屋下のアーケード)の下には、小学校で使う椅子が置かれていて、時にはおじさん達が囲碁をする姿を見かける。門前にはずっと寝ぼけたワンちゃん達がいて、台南の日差しの下でなんだか幸せそうに見える。庶民の小吃、例えば意麺、肉燥飯や浮水魚羹などもあり、「収驚」(厄払い)のような古い仕事もあるし、何軒の「柑仔店」(駄菓子屋)もコンビニの脅威に屈せず、だらだらと駄菓子や雑貨の商売をしている。

聖米迦勒堂(St. Michael教会)と王成彬律師(弁護士事務所)は、お隣同士。ずっと神秘的な色彩で覆われている。が、それは神秘的ではないかもしれず、一人の通りすがり人間の勝手な想像かもしれない。

東榮街の一軒家、最近出来た鍋焼き麺専門店の「あらいよしこ」(荒井佳子)。向かい側の「毛丼」は、丼ものを販売しており、いつも長い行列を作っている。東門の城壁のすぐ傍に、深海魚のスープがあるお店もあり、1970年から続く老舗の「城辺鱔魚麵」もある。

東門路の「許嵩煙舊宅」は、「台湾歴史建築百景」にも選ばれた名所。1930年代に建てられたバロック建築二階の立てを設計した許嵩煙は、戦後の台南市の参議院議員だ。昔、我が家はこの旧宅の後ろにあって、その時には、この建物には住人がいて、建物下のアーケードの一階外側の壁にモノクロ写真二枚をかけてあったことを覚えている。子供の時代、それを見るといつも怖くて走って逃げた。建物が荒廃した後にも、一時期「東門美術館」として使われ、後ろの庭にレストランが開かれた。美術館が引っ越した後、現在までそのまま使用されていないが、建物はちゃんと維持されている。いつかまた生まれ変わるかな。

東門路から右へ曲がって、慶東街に行って、また左へ曲がって樹林街へ行ったら人気喫茶「カドヤ」へ着到着。平日の午後なら並ばなくても済むから、一時間ぐらいまったりできる。お菓子屋昭和時代の流行曲のBGMが魅力的。

東門城に入って、右に曲がって長栄路に入ったら、路地裏カフェ「A Room」もおすすめ。もうちょっと行けば、地元っ子のたまり場「三角公園」。「黃花風鈴木」(黄金凌霄花・こがねのうぜん)が咲くシーズンなら、燦々たる黄金色の雨が降り注ぐような景色に迎えられ、非常に美しい。

公園の大きな樹の下でボーとしてもいいし、付近のカフェで一服してもいい。近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、カラオケを歌ったり、社交ダンスを踊ったりする姿を眺めながら、午後の日光浴をするのも気持ちいい。夕方になると、「修禪院」まで歩いて城壁の古跡を見ましょ。その辺りに修復したばかりの日式宿舎の集落があり、小さい頃は、「棉麻試驗所」と呼ばれていたが、正式名称は「原臺南州立農事試驗場宿舍群」だと、後になって分かった。

林森路の大東夜市の屋台の明かりが灯ったら、夜市の時間。夜が更けたら、また東門陸橋に戻って、線路を渡って、「橋下」というバーで軽く飲んでもいい。少しのアルコールと、ちょっとだけの心の沈殿が、いいエンディングかもしれない。

鄭成功とバークレー牧師、オランダ人の友人たち、それと乃木希典将軍、皆喜んで一緒に散歩してくれるでしょう。

関連情報
♦大人廟:東門路一段17號(東門圓環傍)
♦祝三多廟:東門路一段63號
♦台南神學院:東門路一段117號
♦彌陀寺:東門路一段133號
♦荒井佳子 あらいよしこ:東榮街102號(11:00 – 14:00 / 17:00 – 21:00)
♦毛丼:東榮街105號(11:30 – 14:00 / 17:30 – 21:00)
♦城邊炒鱔魚專家:東門路一段235號(11:30 – 14:00 / 16:30 – 23:30)
KADOYA喫茶店:樹林街一段36號(平日13:00-20:00 / 土日祝13:00-22:00 火曜日定休)
♦A ROOM Café:長榮路一段234巷17號
♦東門許嵩煙宅:東門路二段95號
♦Deep Blue深藍咖啡館:府連東路55號(08:00 – 20:00)
♦Estrella Coffee 辰星咖啡:府連東路47號(8:30 – 23:00)
♦台南橋下酒吧:東門路一段20號 (21:00-04:00)
♦大東夜市 每週月曜、火曜、金曜のみ営業。

(アイキャッチ デザイン:Tu²)

寄稿者情報

米果
台北在住の台南人、
小説やエッセイ、随筆などを書く。
料理と散策が大好き。
日本の小説や映画も熱中。
作家の宮部みゆきと映画監督の山田洋次と是枝裕和の大ファン。

インターネット本屋さん博客來OKAPIの 「日本小說教我的事」 、来日カフェ 「無謀な小旅行」 、月刊誌『Taipei Walker』の「我が家のテーブル」、週刊誌『新新聞』の「小事放送」、
インターネットメディア「天下独立評論」の 「台北捌玖零」 などのコラムを担当。

Twitter: @chensumi
IG:@mimiko999
Facebook:https://www.facebook.com/dearmimiko

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